トラウマを振り返る

 ふと、母にまつわるトラウマを三つ思い出した。

 小学生の頃かな、急に思い立った母が私の髪を梳いてみたいと言い出した。私の世話は基本お手伝いさんがしてくれていたけど、何故か髪はよく放置されていたのでいつも絡まっているが、仕事で忙しい母はそれを知らないし、私自身もそれがおかしいとは思っていなかったので自分から梳くこともない。

 それで他人の髪を梳く経験がないから、頭の一番上から下まで最初から一気に櫛を通そうとする。本来一番下から部分的に梳いて、少しずつ絡まっている部分をほぐすのだけど、それを知らないのか一気にやろうとした結果櫛が詰まる。それを強引に力ずくで通すのだから、頭皮が引っ張られて髪がブチブチとちぎられていく。痛いよ、やめて!と泣き叫んでも、母は片手で動けないように私の肩を力強く掴んで、我慢しなさいと言いながらやはりブチブチ髪がちぎられる。

 それから髪を梳きたいと言われるたび全力で拒否する私に、今度は大丈夫だからと長い間しつこく懇願してきたので、渋々もう一度やらせた。母は反省したのか、ちゃんとやり方を覚えてきてさほど痛くはなかったが、私はずっと針の筵に座らされている気分だった。痛みよりも、いくら痛いと訴えても一切やめてくれない母は恐怖でしかなかった。髪を触らせたのは後にも先にもこの二回だけだった。それ以降はいくら言われても頑なに拒絶した。

 2つ目も少し似たような話で、母が耳かきをしてくれた時に、奥の方にある耳垢を取ろうとして、すごく痛かった。痛いからもう辞めてと訴えても、もう少しで取れるからと言うばかり。やっと耳かきが終わった後でも、数日間耳の奥がずっと痛くて、痛みを訴えても気の所為だから大丈夫の一点張り。でもやっぱり痛いから、なんども訴えていると、そのうちイライラした様子で、大丈夫って言ってるでしょう、それぐらい我慢しなさいと言われる。

 もう怒られるのが怖いから、何も言わずに黙っていると、ある日急に高熱が出た。最初はそのうちに引くと思っていたけど、一晩過ぎても治らず、むしろ温度が上がるばかり。ようやく焦った母が、もう一晩経っても治らなかったら病院につれていくといい、三日目の朝に病院につれてかれた。私は意識が朦朧としていて、後で母から話を聞いたのだが、どうやら中耳炎によって誘発された高熱らしく、40度もあったからもうちょっと遅れてたらお子さんの命が危なかったかもしれませんよと医者に怒られていた。

 流石に命に関わるとは思っても居なかったのか、母は怯えた様子だった。それ以来耳かきをされたことはない。

 三つ目は、泣くことについての話。小さい頃から母に怒られるときに泣くと、泣くのはみっともないから泣くな!と更に怒られるから、次第に泣くのを我慢するようになり、泣きたくなると息を止めてしまう。そのせいで泣くたび過呼吸になる。しかも中学生の頃に私が過呼吸しているところを見た母は、それが自分のせいだとは全く思わず、なんなら心配して酸素ボンベを買ってくれていた。あんたのせいだよと言いたい気持もあったが、逆ギレされるリスクを考えると言えなかった。母は、自分が間違っていると言われると、よく逆ギレする人だった。

 きっと、私自身が繊細な人間であることも関係しているだろう。他にも、写真を撮りたくないと主張した時、走って回ったのにも関わらず捕まえられて記念写真を無理やり取らされたことをきっかけに、写真が苦手になった。今でも苦手。だけど病院で手術を嫌がって逃げ回った結果捕まったことは全然トラウマになってないから、私の中で納得できる理由だったかどうか捉え方が変わるのかもしれない。

 私からみて、母の子育てはまるで子供が子育てしているようだと感じた。興味が湧いたら思いついたことをとりあえずやってみて、興味がなかったり、失敗して怖くなったらやらない。機嫌がいい時は優しくして構ったりするが、機嫌が悪い時は怒鳴ったり無視する。

 事前に調べようとか、子供に対する影響を考えようとか、そういうのはまったくない。行き当たりばったりというか、子供じみた残酷さと極端な行動パターンがある。愛情がないわけじゃないと思うけど、子育てというより、おもちゃを扱っているようだ。

 でも彼女は、私に対してどころか自分の人生や他の人に対しても似たような態度を取るどころがあるから、なんとも言えない。私はまだある程度逃げられるが、彼女はそんなふざけた自分自身と言う人間と、生涯ずっと一緒に居なければいけないのだから、私は母じゃなくてよかったと思う。私が私で良かった。