猫とうさぎ

 最初に夫と出会った頃、初めて人生で自分の苦しみをわかってくれた相手と出会った安心感から、今までの人生でほとんど人前で泣かなかったのに、自分でもびっくりするぐらい何時間も泣いていた。あなたは色々自分で抱えすぎてしまうから、なにかあれば俺を頼って欲しいと言われて、最初こそできなかったものの年月を重ねていくうちにできるようになった。家族にも友人にも、人生で誰にも言ったことがない言葉なののに、彼に対してだけは寂しい!かまって!と言えるようになった。

 お互いを動物に例える時、私はまつげの長さからラクダ、彼の感情表現が豊かで可愛らしいところから犬と言った。彼は私に、寂しがり屋だからうさぎかな。いやでも、猫みたいなときもあると言った。地味で無愛想で、無表情で何を考えているのかわからないとよく言われた私を、そんな可愛らしい動物で例えるのはきっと生涯彼一人だけだ。なぜなら私がそこまで感情を表に出せるほど信頼して愛する人物も、やはり彼一人だけだから。

 あなたは猫みたいなうさぎだねって言ってくれる彼がもう居ない世界で生きたくない。もう二度と会えないなんて死んでも嫌だ。だけど、それと同時に、二人の思い出まで失われたり否定されるのは耐えられない。私が死んでしまったら、いよいよそうなってしまう。これから先何があっても、一緒に過ごしたあれほど幸せだった日々は変わらない。すでに過ぎた日々の中身が変わらないというのは、呪いでもあり祝福でもあると実感する。彼がいなくなった事実は変わらないが、彼といっしょに過ごした日々もやはり変わらない。その記憶を抱えて生きていくことが、彼と一緒に過ごしたこの家で一日でも長く過ごせることが、私がとりあえず今日が終わるまで生き延びる理由になっている気がする。

 生きたいって思うことに執着してはいけない気がする。考え方を変えて、今の自分はゆっくり死んでいるのだと考えれば受け入れられる気がする。有限な寿命であれば、人は毎日少しずつ死んでいく。明日も生きることを考えるのではなく、今日も一日死に近づけると考えると俄然楽になっる。むしろ認知症にでもなってくれれば、主観的には彼がそばに居てくれる世界に行けるかもしれない。その時、認知症の私に合わせて夫のフリをしなければいけない人物がいたら申し訳ないと思うから、カカシかなんかで済むぐらいにボケてくれたらいいな。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA