ねえこれからどうなるの

 私ってなんだろうと最近はよく考える。一年前の自分が、夫が隣りにいて当たり前の自分が羨ましくて、一年前の自分が羨ましくなくなるのが怖い。どれほど遡っても遡っても、彼がいた歴史に辿り着けなくなるのが怖い。

 もうすぐ九ヶ月。九。未だに一ヶ月目と同じ質問を延々と繰り返してる。生きてるなら、どうして未だに家に帰らないの。生きていないのなら、どうしてそこまで思い詰めたの。わからない。一生わからないかも知れない。その展望への恐れが一日ごとに私を蝕む。体重が七キロ落ちた。幸せ太りだったのが痩せて標準体重に戻った。彼が居た頃は働きながら食事を工夫したり運動したり、ダイエットしても全然落ちないのに、今となっては無職で家に引きこもってるだけで七キロ。憔悴というのは本当にすごいね。

 無限にあったように思えた細やかな幸せも未来への期待も生きる楽しみも全部呪いになった。もういい、もしくは、受け入れる、と徹頭徹尾思いたいのに、すべてが半人前。捨てられないのに両腕抱きしめることもできない。もうやめたい。全部やめたい。一体私が何をしたというのか。泣く。わんわん泣いて泣き終わって、また冒頭に戻る。耐え難い動悸のような重苦しい圧にも怖いことに慣れてくる。またやってきたのか、とりあえず今晩耐え抜けばいいと、持病の発作に慣れた患者のような心地になってくる。七転八倒する思いも、知人になってきた。かつての幸せの日常よりも、よっぽど慣れ親しんだような知人に。

 時々ーー私は自分が思い描いた通りの未来を生きられているのではないか、と思う瞬間もある。他人の正解で生かされるぐらいなら、私は自分のやりたい失敗で死にたいと思っていたので、これは望み通りの展開ではないだろうか。この苦しさはだけは間違いなく母のものではなく私のものだと思うと、それだけはスッキリする。実際何度やり直しても、私は彼と結婚する。ただ彼ともう一度会えるなら、時間を戻せるなら、きっとこんな風にならないようにちゃんと話し合いをする。いろいろと対策も取る。ああ、やっぱり私は彼を愛しているのだな。ただ、愛しているからこそ、ふたりがこれ以上苦しまないように別れる選択肢を排除したくない。そもそも生きているのかも判らないのに、こんなことを思い悩んだのは一体何度目だろう。

 これからどうなるかはわからないけど、最近わかってきたことがある。おそらくこの先も私はずっと死にたい。今まで死にたかったように、きっとずっと死にたい。

愛情の限界を受け入れる

 彼が家に帰らないのは、それがいまの彼が私に与えられる愛情の限界だから。

 私が彼を探さないのは、それがいまの私が彼に与えられる愛情の限界だから。

 片方を責めることは、もう片方を責めることにつながる。逆に言えば、片方を許すことは、もう片方を許すことにもつながる。今日、ふとそんな風に考えた。

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死ぬのが待ち切れない

 何回目を覚ましても、彼が居ない世界でもがき苦しんで一日を終えるだけなら、私は一刻も早く死んでしまいたい。どうして、あと何十年も命があるのですか。彼がいなくなったこの7ヶ月がすでに数年が経ったように感じられる。70歳で死ぬなら45年。嘘でしょう。2年でいいです。1年でいいです。明日でいいです。

 いっそ、残高を全部溶かしてタバコに替えたら早く死ねますか。朝日とともに一本吸い、昼食を食べて一本吸い、お風呂の後に一本吸ったら、私の肺は瞬く間に真っ黒になってくれますか。できることなら、教科書の図解のようにわかりやすく、毎日自分の肺を灰色のペンキで薄く塗り重ねるように、寝て起きるたびに黒ずんでいくのを眺めて安心したい。今日も死に大きく一歩前進できたと、肩を下ろしたい。

 でもこれは、街端の喫煙所を通るだけで眉をひそめていた私には、あまりにも苦しいじゃないか。早く死にたいけど、もっと苦しみたいわけではない。許してくれますか。死にたいのに、痛いのも苦しいのも嫌な私を許してくれますか。いつかあなたが生きて帰ってきて、私が大嫌いなタバコで肺がんになって死んでいたら、泣いてくれますか。答えなんてわからないのに、勝手に泣くところを頭に浮かべて、私はコンビニに行けません。どこにも行けません。

 

罪悪感はいてもいなくても

 もし彼が本当に亡くなっているのなら、止めてあげられなかった自分を一生許せない。きっと死ぬまで悲しみ続けて苦しまれる。これは事実。だけど、私はあの日彼を叱ったことを、仕方がなかったとも思っている。

 私は常日頃彼の心情と向き合う努力をしてきた。一番に彼の幸せを思い、細心の注意を払った。事が終わった今でこそ、あの時こうしなければ、ああしなければと言えるが、当時の自分には知る由もなかった。

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猫とうさぎ

 最初に夫と出会った頃、初めて人生で自分の苦しみをわかってくれた相手と出会った安心感から、今までの人生でほとんど人前で泣かなかったのに、自分でもびっくりするぐらい何時間も泣いていた。あなたは色々自分で抱えすぎてしまうから、なにかあれば俺を頼って欲しいと言われて、最初こそできなかったものの年月を重ねていくうちにできるようになった。家族にも友人にも、人生で誰にも言ったことがない言葉なののに、彼に対してだけは寂しい!かまって!と言えるようになった。

 お互いを動物に例える時、私はまつげの長さからラクダ、彼の感情表現が豊かで可愛らしいところから犬と言った。彼は私に、寂しがり屋だからうさぎかな。いやでも、猫みたいなときもあると言った。地味で無愛想で、無表情で何を考えているのかわからないとよく言われた私を、そんな可愛らしい動物で例えるのはきっと生涯彼一人だけだ。なぜなら私がそこまで感情を表に出せるほど信頼して愛する人物も、やはり彼一人だけだから。

 あなたは猫みたいなうさぎだねって言ってくれる彼がもう居ない世界で生きたくない。もう二度と会えないなんて死んでも嫌だ。だけど、それと同時に、二人の思い出まで失われたり否定されるのは耐えられない。私が死んでしまったら、いよいよそうなってしまう。これから先何があっても、一緒に過ごしたあれほど幸せだった日々は変わらない。すでに過ぎた日々の中身が変わらないというのは、呪いでもあり祝福でもあると実感する。彼がいなくなった事実は変わらないが、彼といっしょに過ごした日々もやはり変わらない。その記憶を抱えて生きていくことが、彼と一緒に過ごしたこの家で一日でも長く過ごせることが、私がとりあえず今日が終わるまで生き延びる理由になっている気がする。

 生きたいって思うことに執着してはいけない気がする。考え方を変えて、今の自分はゆっくり死んでいるのだと考えれば受け入れられる気がする。有限な寿命であれば、人は毎日少しずつ死んでいく。明日も生きることを考えるのではなく、今日も一日死に近づけると考えると俄然楽になっる。むしろ認知症にでもなってくれれば、主観的には彼がそばに居てくれる世界に行けるかもしれない。その時、認知症の私に合わせて夫のフリをしなければいけない人物がいたら申し訳ないと思うから、カカシかなんかで済むぐらいにボケてくれたらいいな。

からからから

 本当に自分の人生が空っぽになったような気がする。限りなく空虚だ。美味しいご飯を食べてもすぐその味を忘れる。失踪した夫という幽霊に人生を乗っ取られた気分だ。当たり前だけど、今話している人たちはみんな私のことを夫が失踪した可哀想な妻としてみる。私自身ですらそうみている。実際にそうなんだ。誰一人自分という存在をみてくれない、夫の出来事というレンズからしか見られない、生活できない。夫をなくした妻として寝て、起きて、ご飯を食べて、生きる。なんて虚しい。これがアイデンティティの喪失なのだろうか。

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思考の揺れ

 体調、時間、今日起きた出来事、みたもの、生きることのすべての要素が思考に影響を与える。彼のことをいくら信じようと努めても、怒り、不信感、絶望、様々な感情が襲いかかってきて疲弊する。毎日必死に自分の脳みそと戦っているようだ。いっそ自傷行為でもできれば楽になれるかもしれないと思い至って、しかしその現実をいつか彼に突きつけるのが恐ろしくなる。お前のせいでお前の妻が自傷して廃人になったんだぞという現実を作り出したくない。

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冷や汗が肌につく目覚め

 長い間過去も今も夢のように思えた。一緒に過ごした時間も、今一人だけポツンと生きている今の現実も、すべて夢のようだった。起きているのか寝ているのかもよくわからず、ただ時間をすりつぶしていく。近頃、ようやく少しずつ受け入れ始めた。一緒に過ごした幸せな過去も、いま彼がどこにもいない現実も、どちらも本当のことだ。現実で起きた出来事だ。

 それでもふとした時に、まるで悪夢から目覚めたような感覚に襲われる。一体自分は何をしているのか、どうして今ここにいるのか、何一つわからないという自覚が急に芽生えてくる。例えば私は今でもよく学校で宿題やら課題やらを忘れて、これでは卒業できなくなると焦る夢をよく見るが、そこから急に目覚めた時に感じる混乱に似ている。自分は疾うの昔に卒業したことをゆっくりと思い出してやっと落ち着く。だけど現実では目が覚めることはない。実は勘違いだったなどというオチはない。生きる気力と理由を失っているのに、毎日起きてご飯をたべて寝る日々にとてつもない違和感が生じる。あたりを見回してもやはり心当たりはなく、映るものはどれもぱっとしない。彼を失っているのにこんなくだらない物事に時間を費やしているのかと万物に対する気持ちが冷めていく。

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致死性の罪悪感

 彼がいなくなったあとに幾多数多の苦しい感情を経験したが、その中でも一番私を死に至らしめるのは罪悪感。私のなにかが彼を苦しめ、それが結果的に彼という人間の命が失われることに繋がったのではないかと考えるだけで、自分に対する憎しみから殺したくなる。私がこの世の何よりも愛したただ一人の彼。独自の考え、好き嫌い、理想や夢を持つ一つの鮮明な命が私のせいで失われたのか。私が存在したために失われたのか。あまりにも憎い。腸を撒き散らしながら小汚い道端で死んでほしい。

 行方不明というのは結局生きている可能性も死んでいる可能性もある、それ以上でもそれ以下でもない。故にまだ自分を説得できる。まだ彼のためにできることがあるから生き延びるべき。彼が生きていると信じることで少しでも生きながらえるのなら信じるべき。このようなロジックで自分を説得できる。どう足掻いても苦しいのは変わらないけど、少なくとも今のところ希死念慮を和らぐことはできた。

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他人のために生きたくないけど生かされている

 夫が失踪してからは会話の相手も会う人間も殆どが義母一人になっている。失踪についてはいなくなった次の日には義両親に伝えていたが、義父は実家に滞在して義母が駆けつけてくれた。

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