斜陽

 母には若い頃からお世話になっていたご年配の方がいて、その方をお母さんと呼び、私にもおばあちゃんと呼ばせていた。そう呼んでいるのは、母の実母、つまり私のおばあちゃんが母の幼い頃に事故で亡くなっていることも関係していると思う。

 近年は全く会っていないけれど、昔は二、三年に一度会うぐらいの仲だった。最初は会うたび嬉しそうにしてくれたり一緒に遊んでくれていたけど、なぜか私がある程度大きくなってからは無愛想になっていって、気づけば母が私をおばあちゃんのところに連れていくこともその人の話をすることもなくなっていた。

 これはまだたまに会っていた頃の話だけれど、本が好きという話題になった時に、咄嗟におばあちゃんも知ってそうな本が出てこなかったことを悔やんで、私は次会う時には何か知ってそうな本を読んでおこうと思っていた。それで選んだのが太宰治の斜陽。純粋に自分が昔読んで好きだったから、これを機にもう一度読みたかった。

 それで念願通り次会った時に最近読んだことを伝えると、なぜか無言になってしまって、まだ中学生ぐらいの歳だった私は焦ってしまった。あれ、どこか機嫌を損ねたのかな、太宰治が好きじゃなかったのかな、と沈黙の理由を考えたけれど、結局それを聞くこともできないまま疎遠になった。

 最近はまた文学に熱心になって、三度目の斜陽を読んでいるけれど、ふと気づいた。私は不倫関係で産まれた私生子で、母から聞いた話によると、当時私を産むかどうか悩んでいた頃におばあちゃんに「男には捨てられるかもしれないが子は一生自分のもの」と背中を押されて産むことを決意したらしい。

 私生子の娘が、斜陽を読んで良かったと語る、ある種運命の悪戯のような皮肉さを、大人になってようやく気付いた。つまり私の母は背中を押されたかず子で、おばあちゃんからみれば自分が背中を押した結果産まれた私にそんなことを言われているわけで。まぁ、純粋に私の考えすぎで、それこそ本当に太宰が嫌いなのかもしれないし、そもそも文豪だからといって必ず読んでいるわけではないので、知らないから返事に困っただけかもしれない。ただ、なんというか、嫌な偶然の旅人だ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA