長い間過去も今も夢のように思えた。一緒に過ごした時間も、今一人だけポツンと生きている今の現実も、すべて夢のようだった。起きているのか寝ているのかもよくわからず、ただ時間をすりつぶしていく。近頃、ようやく少しずつ受け入れ始めた。一緒に過ごした幸せな過去も、いま彼がどこにもいない現実も、どちらも本当のことだ。現実で起きた出来事だ。
それでもふとした時に、まるで悪夢から目覚めたような感覚に襲われる。一体自分は何をしているのか、どうして今ここにいるのか、何一つわからないという自覚が急に芽生えてくる。例えば私は今でもよく学校で宿題やら課題やらを忘れて、これでは卒業できなくなると焦る夢をよく見るが、そこから急に目覚めた時に感じる混乱に似ている。自分は疾うの昔に卒業したことをゆっくりと思い出してやっと落ち着く。だけど現実では目が覚めることはない。実は勘違いだったなどというオチはない。生きる気力と理由を失っているのに、毎日起きてご飯をたべて寝る日々にとてつもない違和感が生じる。あたりを見回してもやはり心当たりはなく、映るものはどれもぱっとしない。彼を失っているのにこんなくだらない物事に時間を費やしているのかと万物に対する気持ちが冷めていく。
生きる理由がなくても当然生きていい。「死ぬのが怖い」だって立派な理由だ。だけど明確に死ぬ理由ができてしまって、その上生きる理由もないのであれば、何故生きているのだろうという純粋な疑問が胸を刺す。命をいただいて、金を消費して、この世にある有限な資源を費やしていいのか。よくなくとも死ぬよりは喜ばれるのが社会の一員として生きるということだ。死ぬぐらいなら苦しんででも生きろというのが教科書に載っている答えであり、真理でもあるだろう。
彼以外の何かを自分の生きる糧にするのが恐ろしい。彼がいて、そのうえで私がいる。彼がそばにいる上でやりたいことはなんだと聞かれれば無限に出てくる。しかし彼がいなくなったあとは何を置いても、まるで彼を裏切っているようで気が気でない。どこかで苦しんでいるのではないか、寒い思いをしているのではないか、そう思うと生きがいを新たに構築しようとしている自分が耐えられない。もう、彼の存在ごと新しい生きがいを積み上げるしかない。思いついても、できるかどうかは生きてみなければわからない。ずっと持っていく。決して置いていかない。私を捨てたとしても、重ねた手をほどいたとしても、私はずっと腕を伸ばし続けてあなたがそれを掴むのを待っている。あなたを一人にはしない。それはきっと、私を一人にしないためでもあるだろう。蜘蛛の糸は、垂らす側と掴む側両方の望みを叶えるためにある。