一ヶ月ぶりに一人でスーパーに行きました。
ポイントカードはいつも主人が管理していて、失踪してからは自分がその役割を代わりに担うと彼はもう帰ってこないと認めてしまっているような気がして、今までずっと放置していました。しかし毎回レジで聞かれて、たまに二度確認されることもあるので、純粋にポイントをつけた方が楽でお得だと思えてきました。
ポイントカードのアプリを入れて、いざカゴを持ってレジに向かうと、よく見かけるパートの方がレジに立っていました。ピ、ピ、とどんどんバーコードが読み取られていき、あとわずか数品残っている状態になりましたが、一向にポイントカードについて聞かれません。しまった。これはポイントをつけない常連客として顔を覚えられていて、聞かれなくなったのではないかと焦りはじめました。主人と同棲している期間も含めればもう3年以上通い詰めていて、私も相手の顔を覚えているぐらいですから、ありうる話です。
過去に何度聞いてもポイントをつけなかった相手が、急につけてほしいと言ってきたら嫌だよなぁ。私は思わず少し申し訳ない気持ちで声が小さくなり、「すみません、ポイント…」と言うと、相手はさっとバーコードを読み取ってくださいました。機嫌を悪くさせてしまったのではないかと、少し心がざわざわした気持ちで決済をし、商品を詰めていました。
その時、ふと気づきました。もしや今わたし、スーパのレジ先での出来事に心がざわついたのか。いや、それ自体私の人生では別途珍しくありません。私は極端に自己肯定感が低く、人とコミュニケーションを取るのが怖くて嫌で、よく小さなことで大変傷ついてはすぐ人気のない山奥で引きこもりたいと思うような人です。
しかし主人が失踪してからは、何もかもどうでも良くなっていました。他人も自分も、この世のすべてがどうでもいいと、四六時中彼のことばかり考えて絶望しているか、現実逃避のようにひたすらなにかに打ち込んでいました。今までの半年間、スーパーでなにか印象に残ることはあったのかと必死に思い出そうとしても、一つも思いつきません。
矛盾しているように聞こえるかもしれませんが、私は自分が傷ついていることで、自分が元気になっている事に気が付きました。そして更に言うと、別にさほど傷ついていないということにも気が付きました。
昔の私ならきっと、なぜ私はこんな小さなこと一つで傷つくダメ人間なんだとさらに落ち込んでいた。些細なことに思考を巡らせては人生の時間を無駄にして、自分を消耗させるコスパの悪い生産性のない人間だと、自己嫌悪に陥っていた。
しかしスーパーから出た帰り道に先程の驚きを思い返していると、いや、別に傷ついてないのではと疑問に思った。最近みた海外の精神科医の動画で紹介されていた、辛い感情を経験した時に使う瞑想があります。その内容をざっくり言うと、体の物理的な反応を客観視すると言うものでした。苦しい、怖い、悲しいなどと感じた時に、感情に注目するのではなくその時どの体の部位がどう反応したのか観察する。胸が締め付けられような感覚があるのか、奥歯を噛み締めているのか、肩に力が入っているのかなどなど。反射的に今は怖い、今は不安だとすぐにレッテルをつけるのではなく、まずは自分の体を観察する。すると意外と、だんだん落ち着いてきたりします。辛い気持ちを否定したり拒絶するのではなく、ただ感じ切ると言う考え方です。ネガティブな感情にパニックしたり、そう感じる自分を責めたりするなどの二次被害を受けづらくなります。効果は人それぞれだと思いますが、個人的には結構いいです。
私は胸の辺りに不快感を覚えたのを、さっきのやりとりがうまくいかずに傷ついたと反射的に思っていた。しかしよく考えてみれば割と普通なやりとりだった。普通に対応してもらったし、ちゃんと相手の仕事に含まれていることだった。今まで使ってなくても、今日からポイントカード使っちゃいけないなんてこともない。じゃあ別に傷つく理由がないよね。もしかしたら予想通りに行かなかったことに不安を覚えたかもしれない、相手の言動の理由がわからず気になっていたかもしれない。理由はともかく、結果としては「胸の辺りのささやかな不快感」だった。つまり大したことではない。そもそも世界一大切なひとが失踪して生きる意味も失っているのに、こんなことどうでもいいよねと、不思議に思っていた。
他人からどう思われているのか、どんな言動で接してくるか、そんなこと気にしなくていいのにと素の頭で思ってしまった。自分の目的は達成できたわけだし、死にたい中でスーパーに行って買い物をして、特に人にぶつからず事故に合わず、なんのアクシデントもなく家に帰って来られて良かったじゃないかと、少し冷ややかな風に吹かれながら帰路についていた。私が、あの私が、健全で自己肯定感がある人が言いそうなことを自発的に考えている。
奇妙な感覚です。世界が一変するほど強烈な体験は、人間の感受性をここまで変えるのか。よくよく思い返せば、主人が失踪したあとでもいつものように人と話して緊張したり、疲弊したことはあったけど、こんなに自分らしくない考えが浮かんだことはなかった。辛い、どうしてまだ生きてるんだろう、彼に会いたいと思っていた。こんなに開き直ったことはない。
やはり多かれ少なかれ空元気だと思うが、空元気ができることにもやはり驚く。別に、自己肯定感が高い人間になりたいとは思わない。ただ、自己肯定感が低くてもいいと思える人間になりたい。これからどうなろうとも、きっともっと強くなって一人で生きていく力をできるだけ身につけた方がいい。彼がもしいつか帰ってくるなら、その時負担を減らせるようにするには私が精神的に安定している方がいい。
そんなこと言っても、どう足掻いても苦しい時はこんな健気な考え受け付けられないし、結局生きているだけで精一杯なときは何もできない。死にたいときは死にたい。運よく立ち上がられる日は無理のない程度に歩いたっていいと思うし、今日はそういう日だったのかもしれない。だめになったらまたいくらでも寝転がろう。
一月の中旬なのになぜかちょっと温度が上がっていて、最高気温が15度ぐらいになる日が増えていますね。冬のちょっとあたたかい日にはアイスを食べたくなるのは私だけでしょうか。モウが大好きで、アイスコーナーで悩んでいると結局モウに手が伸びてしまいます。モナカジャンボと雪見だいふくは頻繁には食べないけど、どうしても食べたい日があるアイスです。夏になるとスイカバーとガリガリ君を食べないと夏を過ごした気になれません。そう考えると、思った以上にアイスという食べ物に思い入れがありますね。
いま私、アイスの雑談をしましたか。小さな痛みだけでなく、小さな喜びまで感じだしているのは非常に恐ろしいことです。壊れているはずの機械が急に順調に動き出した時のような不気味さがある。回光返照のような、実は完全に壊れる寸前で暴走しているのではないかと疑ってしまう。
このあと反動でものすごく病んで再起不能になってしまいそうで非常に怖いので、休んだり瞑想して調子を整えようと思います。次の投稿までにお互い生きていると良いですね。