苦しんでほしい、幸せになってほしい。自分が憎い、あなたが憎い。

 私は彼に対する罪悪感で自分が憎いと感じるのと同時に、今までの人生で他人の言動で自分が不幸になってきたことに対する怒りを感じる。自分を苦しめたい気持ちと幸せになってほしい気持ちが両方ある。

 もし私が彼に出会わなければ、今でも彼は失踪なんてせずに元気に暮らしているかもしれない。本人から聞くことはもうできないけど、私の何かが彼を苦しめたのかもしれない。そう思うと、自分が憎くて仕方がない。生まれなければ良かったとずっと思ってきて、彼に出会ってから浄化されたその気持ちが増幅して帰ってきた。もっと早く死んでおけばこんなことにはならなかった。自死を選ぶタイミングなんていくらでもあったのに、自分を殺すことができなかった自分が不甲斐ない。

 反対になんともやるせない怒りを覚える。家族、学校、職場、そして今の彼の失踪。ずっと他人の言動に振り回されて不幸になる人生にはもううんざりだ。一生懸命頑張ってきたのに、どうして私はこんな目ばかり会わされているのだろう。この世界は自分の不幸を喜んでいるのではないかと本気で疑いたくなる。本当のところ世界に意志なんてない、不平等なのは当たり前。この世に生まれてどんな恩恵と苦しみを受けるのかは誰も選べられない。配られた手札で生きるしかない。頭ではわかっていても、やはり苦しい時は苦しい。いっそ義両親も母親も失踪した夫もいなかったことにして、誰も自分を知らない土地に一人引っ越して、できるだけ誰とも関わらず静かに余生を過ごして死のうと何度思ったことか。

 それでも彼を一人置いていけなくてこの家を守り続けている。主人のために長年心を砕いてきた義母が可哀想。母のことでどんなに苦しんできても、死を看取る人すらいないほどの悪行はしていない。そう思う気持ちもあるけど、それらは自分が強烈な希死念慮を感じているときにはどうでもよくなる。しかしどんなに血が滾るほどの怒りを覚えて、絶望の中で泣きながらもう苦しみたくないと願っても、彼に捨てられたと感じても、今なお苦しんでいるかもしれない彼を思うと置いていけない。それが私を引き止める最後の砦となっている。

 ふと笑った時に、彼のことを思い出す。世界一大切なかけがえのない人を失ったのに、なぜ私は笑っているのだと気味が悪くなる。些細な喜びを感じるたびに、今もなお彼の行方がわかっていないのに、一体私は何を喜んでいるのだと戒める。同時に、すこしでも喜びを感じる自分に安心している。まだ生きていけるのだと、安心してしまう。もはや何がなんだかわからないさ。ただ、片方にだけ目をつむらずに、両方認めてあげようと心がけている。全部受け止めようと励むことしか、今の私にはできない。

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