もはや自分は、昔と同じような自分として生きてはいけないという現実を、常に突きつけられている。長い間、美しい絵が描ければ、生きられるのではないかという推測を抱えていた。どんなに辛い出来事があっても、自分が心酔できるほど美しい絵を描く能力さえあれば、どうでもよく思えるのではないか。上司に叱られても、同僚と仲良くなくとも、病気に苦しんでも、いつかまた絵を描いてうっとりする時間がやってくると思えば、耐えられるのではないか。
“絵と文字2” の続きを読むトラウマを振り返る
ふと、母にまつわるトラウマを三つ思い出した。
小学生の頃かな、急に思い立った母が私の髪を梳いてみたいと言い出した。私の世話は基本お手伝いさんがしてくれていたけど、何故か髪はよく放置されていたのでいつも絡まっているが、仕事で忙しい母はそれを知らないし、私自身もそれがおかしいとは思っていなかったので自分から梳くこともない。
それで他人の髪を梳く経験がないから、頭の一番上から下まで最初から一気に櫛を通そうとする。本来一番下から部分的に梳いて、少しずつ絡まっている部分をほぐすのだけど、それを知らないのか一気にやろうとした結果櫛が詰まる。それを強引に力ずくで通すのだから、頭皮が引っ張られて髪がブチブチとちぎられていく。痛いよ、やめて!と泣き叫んでも、母は片手で動けないように私の肩を力強く掴んで、我慢しなさいと言いながらやはりブチブチ髪がちぎられる。
それから髪を梳きたいと言われるたび全力で拒否する私に、今度は大丈夫だからと長い間しつこく懇願してきたので、渋々もう一度やらせた。母は反省したのか、ちゃんとやり方を覚えてきてさほど痛くはなかったが、私はずっと針の筵に座らされている気分だった。痛みよりも、いくら痛いと訴えても一切やめてくれない母は恐怖でしかなかった。髪を触らせたのは後にも先にもこの二回だけだった。それ以降はいくら言われても頑なに拒絶した。
2つ目も少し似たような話で、母が耳かきをしてくれた時に、奥の方にある耳垢を取ろうとして、すごく痛かった。痛いからもう辞めてと訴えても、もう少しで取れるからと言うばかり。やっと耳かきが終わった後でも、数日間耳の奥がずっと痛くて、痛みを訴えても気の所為だから大丈夫の一点張り。でもやっぱり痛いから、なんども訴えていると、そのうちイライラした様子で、大丈夫って言ってるでしょう、それぐらい我慢しなさいと言われる。
もう怒られるのが怖いから、何も言わずに黙っていると、ある日急に高熱が出た。最初はそのうちに引くと思っていたけど、一晩過ぎても治らず、むしろ温度が上がるばかり。ようやく焦った母が、もう一晩経っても治らなかったら病院につれていくといい、三日目の朝に病院につれてかれた。私は意識が朦朧としていて、後で母から話を聞いたのだが、どうやら中耳炎によって誘発された高熱らしく、40度もあったからもうちょっと遅れてたらお子さんの命が危なかったかもしれませんよと医者に怒られていた。
流石に命に関わるとは思っても居なかったのか、母は怯えた様子だった。それ以来耳かきをされたことはない。
三つ目は、泣くことについての話。小さい頃から母に怒られるときに泣くと、泣くのはみっともないから泣くな!と更に怒られるから、次第に泣くのを我慢するようになり、泣きたくなると息を止めてしまう。そのせいで泣くたび過呼吸になる。しかも中学生の頃に私が過呼吸しているところを見た母は、それが自分のせいだとは全く思わず、なんなら心配して酸素ボンベを買ってくれていた。あんたのせいだよと言いたい気持もあったが、逆ギレされるリスクを考えると言えなかった。母は、自分が間違っていると言われると、よく逆ギレする人だった。
きっと、私自身が繊細な人間であることも関係しているだろう。他にも、写真を撮りたくないと主張した時、走って回ったのにも関わらず捕まえられて記念写真を無理やり取らされたことをきっかけに、写真が苦手になった。今でも苦手。だけど病院で手術を嫌がって逃げ回った結果捕まったことは全然トラウマになってないから、私の中で納得できる理由だったかどうか捉え方が変わるのかもしれない。
私からみて、母の子育てはまるで子供が子育てしているようだと感じた。興味が湧いたら思いついたことをとりあえずやってみて、興味がなかったり、失敗して怖くなったらやらない。機嫌がいい時は優しくして構ったりするが、機嫌が悪い時は怒鳴ったり無視する。
事前に調べようとか、子供に対する影響を考えようとか、そういうのはまったくない。行き当たりばったりというか、子供じみた残酷さと極端な行動パターンがある。愛情がないわけじゃないと思うけど、子育てというより、おもちゃを扱っているようだ。
でも彼女は、私に対してどころか自分の人生や他の人に対しても似たような態度を取るどころがあるから、なんとも言えない。私はまだある程度逃げられるが、彼女はそんなふざけた自分自身と言う人間と、生涯ずっと一緒に居なければいけないのだから、私は母じゃなくてよかったと思う。私が私で良かった。
すべての死は他殺である
絶望名言というNHKのラジオコーナーが書籍化された際の、そのうちの一節の題名が「すべての死は他殺である」。私はこれにひどく感銘を受けた。
今まで死にたい、自殺したいと思って、自身の弱さや生来の気質によるものだとばかり考えていた。しかし、私を自殺したいと思わせた環境が、出来事が、私を殺したとも考えられる。なるほど、自責と他責、両方の観点が成り立つ。
自責の観点から考えて、私自身の考え方や物事の受け取り方が自分を死に追いやったとする。それもさらに大元を追求すれば、私という人間を構成する遺伝子や環境が、やはり他者から与えられたものであり、それは他責として成り立たないわけでもない。
他責の観点から考えて、与えられた環境や遺伝子が私を死に追いやったとする。ここで環境と遺伝子を与えられた私とは異なる人物が存在し、仮にわたしとする。わたしが私と同じように希死念慮に苛まれるかといえば、その限りではない。つまり、結局は私自身の何かが生き物として誤作動を起こしていて、自責に辿り着く。
結局、他殺か自殺かにこだわる必要性はあるのだろうか。人間関係において、100%どちらかが悪いということがないように、この世に存在するすべての苦しみは他責と自責の観点から見ることができる。9:1か、6:4か、はたまた5:5か、追求する意味はあるのだろうか。
建設的な見方をすれば、希死念慮を解消する手がかりになるなら、ある。ならないなら、ない。もしくは、ひとまず割合はともかく両方悪いと決めつけた上で、両方から手がかりを探すのが合理的なのではなかろうか。それらを一つ一つ検証する気力があるかどうかが難題。苦しみに弱っている人は自分を救えない、しかし救わなければずっと苦しいまま。矛盾。
しかし、他責の観点があると知るだけで、ずっと自責に苦しまれている私にとっては幾分か気軽になる。なるほど、なぜ私を殺すのかと世界を責めてもいいのか。自責のみで構成された世界よりかは、随分楽だ。自責を投げ捨てるつもりはないから、両方の見方に同じぐらいの重みを置くように心がけるから、どうか他責にみっともなくすがる弱々しい私を許してほしい。
罪悪感はいてもいなくても
もし彼が本当に亡くなっているのなら、止めてあげられなかった自分を一生許せない。きっと死ぬまで悲しみ続けて苦しまれる。これは事実。だけど、私はあの日彼を叱ったことを、仕方がなかったとも思っている。
私は常日頃彼の心情と向き合う努力をしてきた。一番に彼の幸せを思い、細心の注意を払った。事が終わった今でこそ、あの時こうしなければ、ああしなければと言えるが、当時の自分には知る由もなかった。
“罪悪感はいてもいなくても” の続きを読む猫とうさぎ
最初に夫と出会った頃、初めて人生で自分の苦しみをわかってくれた相手と出会った安心感から、今までの人生でほとんど人前で泣かなかったのに、自分でもびっくりするぐらい何時間も泣いていた。あなたは色々自分で抱えすぎてしまうから、なにかあれば俺を頼って欲しいと言われて、最初こそできなかったものの年月を重ねていくうちにできるようになった。家族にも友人にも、人生で誰にも言ったことがない言葉なののに、彼に対してだけは寂しい!かまって!と言えるようになった。
お互いを動物に例える時、私はまつげの長さからラクダ、彼の感情表現が豊かで可愛らしいところから犬と言った。彼は私に、寂しがり屋だからうさぎかな。いやでも、猫みたいなときもあると言った。地味で無愛想で、無表情で何を考えているのかわからないとよく言われた私を、そんな可愛らしい動物で例えるのはきっと生涯彼一人だけだ。なぜなら私がそこまで感情を表に出せるほど信頼して愛する人物も、やはり彼一人だけだから。
あなたは猫みたいなうさぎだねって言ってくれる彼がもう居ない世界で生きたくない。もう二度と会えないなんて死んでも嫌だ。だけど、それと同時に、二人の思い出まで失われたり否定されるのは耐えられない。私が死んでしまったら、いよいよそうなってしまう。これから先何があっても、一緒に過ごしたあれほど幸せだった日々は変わらない。すでに過ぎた日々の中身が変わらないというのは、呪いでもあり祝福でもあると実感する。彼がいなくなった事実は変わらないが、彼といっしょに過ごした日々もやはり変わらない。その記憶を抱えて生きていくことが、彼と一緒に過ごしたこの家で一日でも長く過ごせることが、私がとりあえず今日が終わるまで生き延びる理由になっている気がする。
生きたいって思うことに執着してはいけない気がする。考え方を変えて、今の自分はゆっくり死んでいるのだと考えれば受け入れられる気がする。有限な寿命であれば、人は毎日少しずつ死んでいく。明日も生きることを考えるのではなく、今日も一日死に近づけると考えると俄然楽になっる。むしろ認知症にでもなってくれれば、主観的には彼がそばに居てくれる世界に行けるかもしれない。その時、認知症の私に合わせて夫のフリをしなければいけない人物がいたら申し訳ないと思うから、カカシかなんかで済むぐらいにボケてくれたらいいな。
からからから
本当に自分の人生が空っぽになったような気がする。限りなく空虚だ。美味しいご飯を食べてもすぐその味を忘れる。失踪した夫という幽霊に人生を乗っ取られた気分だ。当たり前だけど、今話している人たちはみんな私のことを夫が失踪した可哀想な妻としてみる。私自身ですらそうみている。実際にそうなんだ。誰一人自分という存在をみてくれない、夫の出来事というレンズからしか見られない、生活できない。夫をなくした妻として寝て、起きて、ご飯を食べて、生きる。なんて虚しい。これがアイデンティティの喪失なのだろうか。
“からからから” の続きを読む絵と文字
精神が苦しみに耐えきれず死を願う時はいつもいろんな作品に助けられていた。音楽、漫画、アニメ、小説、映画などなど。その時の苦しみに合致する何かを必死に探して、見つければしばらくは苦しまずに延命できる。気づけばまた地獄の底に落ちてはまた蜘蛛の糸を見つけて這い上がる。何度も繰り返していくうちに、もはや登るのも落ちるのにも疲れてしまった。もうずっと、地獄で暮らすか死ぬか。難題である。
近頃、創作に助けられている。苦しい原体験を昇華させることを目的とする創作者は多いのではなかろうか。他人の作品の続きが出るまで生きて、終わればまた新しい作品が出るまで生きる。自分の作品を完成させるまで生きて、完成すればまた新しい作品を始める。このループを生きる意味にするのが、他人の存在に依存せず一人で持続しやすいのでいいのかもしれない。
“絵と文字” の続きを読む思考の揺れ
体調、時間、今日起きた出来事、みたもの、生きることのすべての要素が思考に影響を与える。彼のことをいくら信じようと努めても、怒り、不信感、絶望、様々な感情が襲いかかってきて疲弊する。毎日必死に自分の脳みそと戦っているようだ。いっそ自傷行為でもできれば楽になれるかもしれないと思い至って、しかしその現実をいつか彼に突きつけるのが恐ろしくなる。お前のせいでお前の妻が自傷して廃人になったんだぞという現実を作り出したくない。
“思考の揺れ” の続きを読む冷や汗が肌につく目覚め
長い間過去も今も夢のように思えた。一緒に過ごした時間も、今一人だけポツンと生きている今の現実も、すべて夢のようだった。起きているのか寝ているのかもよくわからず、ただ時間をすりつぶしていく。近頃、ようやく少しずつ受け入れ始めた。一緒に過ごした幸せな過去も、いま彼がどこにもいない現実も、どちらも本当のことだ。現実で起きた出来事だ。
それでもふとした時に、まるで悪夢から目覚めたような感覚に襲われる。一体自分は何をしているのか、どうして今ここにいるのか、何一つわからないという自覚が急に芽生えてくる。例えば私は今でもよく学校で宿題やら課題やらを忘れて、これでは卒業できなくなると焦る夢をよく見るが、そこから急に目覚めた時に感じる混乱に似ている。自分は疾うの昔に卒業したことをゆっくりと思い出してやっと落ち着く。だけど現実では目が覚めることはない。実は勘違いだったなどというオチはない。生きる気力と理由を失っているのに、毎日起きてご飯をたべて寝る日々にとてつもない違和感が生じる。あたりを見回してもやはり心当たりはなく、映るものはどれもぱっとしない。彼を失っているのにこんなくだらない物事に時間を費やしているのかと万物に対する気持ちが冷めていく。
“冷や汗が肌につく目覚め” の続きを読む致死性の罪悪感
彼がいなくなったあとに幾多数多の苦しい感情を経験したが、その中でも一番私を死に至らしめるのは罪悪感。私のなにかが彼を苦しめ、それが結果的に彼という人間の命が失われることに繋がったのではないかと考えるだけで、自分に対する憎しみから殺したくなる。私がこの世の何よりも愛したただ一人の彼。独自の考え、好き嫌い、理想や夢を持つ一つの鮮明な命が私のせいで失われたのか。私が存在したために失われたのか。あまりにも憎い。腸を撒き散らしながら小汚い道端で死んでほしい。
行方不明というのは結局生きている可能性も死んでいる可能性もある、それ以上でもそれ以下でもない。故にまだ自分を説得できる。まだ彼のためにできることがあるから生き延びるべき。彼が生きていると信じることで少しでも生きながらえるのなら信じるべき。このようなロジックで自分を説得できる。どう足掻いても苦しいのは変わらないけど、少なくとも今のところ希死念慮を和らぐことはできた。
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